ワークショップ型研究協議に思う

 昨日は道徳の授業研究会でした。

 生徒たちも頑張ってくれたので、よい授業になったと思います。「私は十四歳」という読み物資料を題材に話し合いをしましたが、導入・終末では私自身の十四歳の頃の写真などを見せてみたら、ささやかに盛り上がりました。特に終末で使った映像はiMovieを使ってちょっとした動画を作ってみましたけど、音楽も加わってすごく雰囲気がよくなり、生徒にもずいぶん沁みたようでした。

 授業後に研究協議会がありましたが、最近比較的よく見かけるようになったワークショップ形式(というか、単にグループ討議つき)でした。予め授業者が示した参観のポイントに従って参観者が付箋にメモしたものを、大きめの紙に貼り付けながらポイントや課題を整理していく形式です。

 話も絞られるし、具体的な改善提案もなされるので、何も観点を設定せずに参観して言いたいことをただ言い合う「協議会」よりは有意義かなとは思いますが、それでもやはりグループの話し合いの中である程度意図を持った先導がされないと、「なんでもあり」な会になってしまう気がします。

 授業での小グループでの話し合い活動や、学び合いなどの活動でも同じ危険性をはらんでいるような気がします。参加者や生徒はいろいろ考えて発言もするので、参加した感は味わえますけど、学んで欲しいことがしっかりと学べているのかのコントロールは不安です。

 そういう意味では、私が役員を務める地区の授業研究会では、各グループに予め話し合いの方向性を吟味した役員を配置しているので、ある程度機能しているように思います。そのために役員の人数も確保し、事前に集まって準備もしているし、手間はかかるわけですけど。

 いただいた改善提案を全部取り入れたら、当たり前だけどよくわからない授業になってしまいます。すると、仮に提案を受けて再度指導案を組み立てるとしたら、今度は「どの提案を採用するか」という吟味が必要になります。「授業研究」という事業の中では、意外とそのプロセスがなされないままになってしまうことが多いと思います。

 授業に関して「やってよくない活動」というのはあまりないように思います。どんな活動にだって少なくとも教育的意義があります。たくさんの「よいこと」の中で、「何を」「どこで」「どの順番で」「どんな風に」取り入れるのか、50分の授業を1パッケージとしてトータルで考えて再プラニングするような「研修」が設定されて行くと面白いかなぁと思います。