ときには手段のために目的を選ぶようなブレインストーミングも

 2017年初お座敷。

 昨日、KATE(関東甲信越英語教育学会)のマルチメディア講習会+1月月例研究会に登壇してきました。私の実践をいろいろ見ていただく、というより、参加者の方々にお題を出してみんなで考えていただく、という趣向での90分間でした。

 みなさんからのアイディアが多様で、私のほうが参考になることも多く、講師として立たせていただくのが恐縮な感じでしたが、一番お伝えしたかったのは、「ときには手段のために目的を選ぶようなブレインストーミング大事だよね」ということです。

 普通だったら「進行形を教える」ために「Picture Tellingをやらせよう」と、目的のために手段を選択するんですけど、ちょっと見方を変えて、「手元にあるiPadで面白いことできないかな」からスタートして、「さっき職員室で撮った先生の写真でPicture Tellingさせたら面白いな」となって、「Picture Tellingで鍛えられそうなのは、進行形・There is〜あとなんだろう?」というふうに「手段」から可能性のある多様な「目的」を探求してみると面白いと思うのです。

 このへんは懇親会でも話題になったのですが、目的・目標からの「バックワードデザイン」の大切さが訴えられる時代に敢えて「手段」を取り上げることはちょっと勇気が要ります。でも、ぼくの場合は一周回ってしまっていて、「それは大事なのわかってるんだけど、あえて」なんです。天邪鬼ですね。でも、教材研究の手法をもっと自由に考えられるようになりたいな、と思うんです。もっとも、そういう風に考えられる時間的・精神的な余裕こそ、一番求められるものかも知れませんけどね。

 いつもの月例会より多くの人が集まってくださったとお聞きして、とても嬉しいです。そのまま月例会のラウンドテーブルにも参加(そしてなぜか急遽登壇w)させていただき、学生さんから小中高大の先生方と交流をさせていただきました。

 英語教師の団体はいろいろありますが、KATEのような組織がおこなう月例会には、アカデミックな部分と現場のプラクティカルな部分をつなぐ役割を(勝手に)期待してしまいます。私はたまたま大学院に行って、研究とか論文とかに触れて、それが今の自分の授業をいろんな面から支えてますけど、多くの中高教員にとっては「ちょっと遠いもの」であるアカデミックな世界。その距離が近づくような催しを楽しみにしています。

 さて、今回のお座敷でも、多くの方に「ブログ読んでますよ」とお声かけいただきました。こっちが一方的に知っていると思ってた人からそんなこと言われたりすると、本当にびっくりします。そしてその先生方の同僚や後輩たちにも紹介していただいている、と伺って、本当に多くの人に読んでいただいているんだなぁ、実感します。そんな多くの方々が何かのきっかけで開いてくれた1アクセスが積み重なって、おそらくこの連休中に突破するであろう2,000,000にたどり着くんですね。感慨深いです。

 ブログを始めて11年ちょっと。いろんなところで発表の機会をいただくようになったのもその頃からです。あれ、そういえば昔KATEの月例会で発表させてもらったこともあったな、と検索してみたら、私が初めてKATEの月例会に参加したのは10年前、2007年の1月例会でした。ブログにも記録が残ってて、「一斉授業で習熟度学習」というお題で、「教科書音読シート」「答えが次の問題になるプリント」「どっちをやっても答えが同じになるプリント」「採点者代理制度」などの実践をまとめて発表していました。

 あれから10年、ぼくは何か成長したでしょうか。授業スタイルは変わってきています。興味関心も移り変わりがあります。お座敷のスタイルも「アイディアの切り売り」から、より概念的なものに移行しています。

 変わるもの、変わらないもの。

 過去ログを読み返しながら、そんなことを考える冬休み最後の3連休です。