何か1つ変えるだけで、国レベルで英語教育が突然良くなるような魔法はない

 また、某SNSで人と議論をしました。が、なかなか議論になりません。

 大学入学共通テストに英語の民間検定試験のスコアを利用することにの問題点について、最近はやっとメディアも取り上げてくれるようになってきたのですが、でももう実施は半年後。英検の申込みは大混乱の中開始していますが、まだ他の試験はいつどこで何回開催されるかも明らかになっていない状況です。

 それでもなお民間検定の活用を願っているという「推進派」の先生に、「こんな状況でもまだ賛成ですか?」「延期はありえませんか?」と問いかけたのですが、まぁ答えは予想通り「変わらずに賛成」ということでした。そこで他の「推進派」の先生ともやり取りになったのですが、どうしても議論が噛み合わないんです。

 私は、もう日程的にはギリギリの段階なので、目の前の手続き上の問題点等を話題にしているのに、先方は「将来の日本の若者が…」「ここでテストが変わらなければ…」という理念を語るばかり。2〜3年前の時点ならわかるんです。「変えていかなくちゃね」「どう変えていけばいいかな?」 そういう議論を、当時教員同士でももっとするべきだったとも思うのですが、「英検の申込みが今日〆切で、それが今日の昼前に11月まで延期になった」なんてリアルタイムに刻々と状況が変わっていく中で、そんな未来の理想を語り合うよりも、まずは目の前の生徒の「今日の申し込みどうするんだよ」とか「っていうか、そんなすぐ変わる仕様でいいのかよ、大学入試」とか、現場の先生だったら思わないのかな、ととても不思議な気持ちになりました。

 そういう先生によれば、私は理屈ばかり言っていて、変化を好まず、生徒の将来を真剣に考えていない、現場のことをわかっていない、テスト理論を理解していない、海外を知らない教員ということみたいです。まぁ、当たってるか。でもダメ押しで最後に、「まだ若いんだから勉強しなさい」と年齢マウントまで頂戴する始末。うーん。自分と違う考えの人は、生徒のことを考えてないと決めつけちゃうのかぁ。残念。「対話的な学び」までは遠そうですね。

  もうひとつ気になるのは、推進派の先生方の極端な楽観主義。入試が変われば日本の英語教育は変わる! 波及効果だ! パラダイムシフトだ! とポジティブな言葉が並ぶのですが、波及効果には正も負もあるわけだし、そもそもそんないろんな要因が存在する国レベルのスケールでどれだけの波及効果が期待できるのか、甚だ疑問です。

  何か1つ変えるだけで、国レベルで英語教育が突然良くなるような魔法はありません。それは指導法についても同じです。このやり方で、誰でも授業がうまくいく、生徒が伸びる!なんて言ってる人がいたら、私なら信じません。だって、生徒は教師以上に多様なんです。いろんな学び方をする生徒がいるんです。「こんなものやれば誰だってできるようになる!」なんて闇雲に言うのは眉唾です(笑)

 授業を変えるのは、生徒を伸ばすのは、もっと泥臭くて、地味で、行きつ戻りつの、ゆっくりとした歩みです。一人ひとりの教師が、その個性を活かしながら、最善の方法を模索していく、その積み重ねです。A先生の指導では伸びなかった生徒が、B先生の指導で伸びることもあるけど、それは実はA先生の指導が事前にあったからこそ、なのかも知れないんです。そんないろんな化学反応の先に、それぞれの生徒の英語力があるんだと思います。

  一人の教員として、生徒に与えられる影響はほんのわずかかも知れません。それでも、その1%が、その生徒を後に大きく動かす1%になると信じて、毎日忙しい中で教材研究をして、教室に向かうんです。

  少なくとも、私はそうやってきましたし、自分のやり方をいいと思ってくれる人がいればと思ってアイデアを発信してきたし、そういう教師を一人でも多く育てるために、今の場所で努力を続けようと思っています。

 珍しく愚痴りました。もっと教員同士が話をしなくちゃダメだな、と思いつつ、私にまだまだ人間力が足りず、なかなかじっくりと対話をしてもらえません。53万くらいまで高まるように、もう少し修行してから、次に挑みます。