本屋さんでやたら目につく並べ方をしていたので思わず手に取った一冊。結構売れてるみたいですね。「認知的」なことは、個人的にも関心がある分野なので、面白く読みました。WISCとか、普通教室での特別支援的な対応とか、自分としては中学校現場でずっとリアルに向き合ってきた部分なので、当時のことをいろいろ思い返してしまいました。
とはいえ一般書ですから、「AIさん」ほどではないにしても、ちょっと極端な書きぶりになっていると思います。学校や病院、少年院の現場を残念に描きすぎですし、提案されている認知トレーニングはまるで魔法のように効果がありそうに書かれていますが、そういうのを差し引いても、内容としては面白いなと思ったので、あまり気負わずに気軽に読むのをお勧めする一冊です。
病院や医療少年院などで非行少年と向き合ってきた著者が、勉強以前に基本的な形や数、図形といったレベルでの認知につまずく少年たちの特性を分析しています。何回書いても漢字や単語が覚えられない子や図や絵を描かせても線が繋がらない子なんかに日々接している先生方であれば、「そうだよね」と納得できる内容かなと思います。
著者も言っていますが、発達障害に比べると知的障害(や境界知能)に対する理解は、意外なほど教員の間でも高くないように思います。結局後々いろんな生徒指導を引き起こす原因が、生徒の学習面でのつまずきにあって、それをカバーし切れていない現状もその通りだと思います。だからこそ、そこに向き合えるのも「学校の教員だ」と著者は言うのですが、たぶん「教員はいろいろ気づいているけど、対応する時間がない」「専門的なスキルを研修する時間がない」というのが現状だと思います。だから今の学校現場の状況で、それも学校でぜんぶ教員に背負わされちゃうのは、どうかなぁと思います。
認知の歪みや偏りのために、学習や対人関係などに苦しんでいる子どもがたくさんいるのは事実です。「学校」という場所が、そういう困難さを抱えている子どもにとって、生活しやすい場所でなくなっているのも事実です。「アクティブ・ラーニングだ」「学び合いだ」と、子どもたちに負荷がかかる教育手法も極端に増えました。認知トレーニングなどを通して子どもたちの個々の認知的なスキルを向上させるのと同時に、学校という場所で繰り広げられるいろんな営みが、そういう子たち(というかすべての子たち)にとって負荷の少ないものになって欲しいなと願います。私は、そういうことを目指して中学校で働いていたなぁ、と改めて思いました。
最後に英語教育のお話も少し。
今回の学習指導要領改訂により、文字指導の基礎的な部分が小学校に降りていきますが、いろんな特性がある子たちがいますから、いきなり文字を書き写すんじゃなくて、まずは文字以前の線や点で遊んでみるのも大事だと思います。私も昨年2月に学区の小学校に行って6年生相手に出前授業をした際に、連続して丸を描き続けたり、波打つ線を力をあまり入れずにすらすらと描いてみたりするような、ペン運びのトレーニングをやってみましたが、みんな結構苦労していて、その難しさを面白がって遊んでいました。そういう「慣れ」だって、まさに「素地」になっていくと思うんですけどね。
著者の出している教材も面白そうなので、手に入ったら見てみたいですね。
私自身も、人の顔が覚えられなかったり、結構偏りがあるので、トレーニングした方がよいかもな、なんて読みながら思いました。(それは加齢…)