新学習指導要領に対応した新しい評価規準を考える

 最近発売になった大修館『英語教育』3月号に、年度内に一般にも発表される予定の新学習指導要領に対応した評価資料の一部が紹介する山田調査官の記事が載っていたので、気づいたことを書いておきます。私が先日書いた予想の解釈と近い部分もあるけど、結構違う感じもします。

英語教育 2020年 03 月号 [雑誌]

英語教育 2020年 03 月号 [雑誌]

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2020/02/14
  • メディア: 雑誌
 

 ちなみに私の書いた予想記事はこちら↓

「知識・技能」と「思考・判断・表現」の違いは?

 今回の記事で一番感じたことは、「知識・技能」と「思考・判断・表現」は区別が難しいし、さらに「思考・判断・表現」と「主体的に学習に取り組む態」も区別が難しい、ということ。特に後者は紙面でも「主体的に学習に取り組む態度は基本的には思考・判断・表現と一体的に評価」と例示されています。何だこれ?

 評価のための文言から察するに、「知識・技能」では正確さを、「思考・判断・表現」は適切さを評価するのだということは間違いないと思います。それは私の予想通りです。「知識・技能」は「言語使用の正確さ」を測るので、これまででいうところの「外国語表現の能力(正確さ)」と一致します。

 ただ例えば「聞くこと・読むこと」の評価項目を見てみると、「話されたり書かれたりしている内容を聞き取ったり読み取ったりできるか」(知識・技能)と「(略)内容を聞き取ったり読み取ったりした上で、コミュニケーションを行う目的、場面、状況に応じて、必要な情報や概要、要点を捉えることができるか」(思考・判断・表現)とあります。この「内容」と「概要・要点」が何が違うのかが見えにくいんです。というのも、書き方からして「内容」のほうが詳細なものを指しているように感じてしまうので、そっちを理解するほうがより高いスキルを求められそうなのに、評価基準では「内容は読み取った上で」のように「思考・判断・表現」のほうを、高次のスキルとして設定しているからです。

 「知識・技能」と「思考・判断・表現」は並列関係にあるのか、上下関係にあるのか、がずっと気になっていたので、この評価資料を見てもその混沌は解決しません。これは「適切さ」というものが、そもそもすごく初歩的な部分とすごく高次な部分を併せ持ったものだからだと思います。このへんは、昔「適切さ」を自分なりに考えたときの悩める様子がブログの過去記事に綴られています。

 

「主体的に学習に取り組む態度」と「思考・判断・表現」の違いは?

 2つめの「主体的」との混乱の原因は、「思考・判断・表現」の評価基準の文例が「条件を満たしてやり取りをしている」という書き方をしていることだと思います。「〜している」というのはこれまでの「関心・意欲・態度」で使っていた書き方なので、今回でいえば「主体的」と混ざる感じがします。

 もっとも、「主体的」に関しては、「特定の領域・単元だけでなく、年間を通じて把握する」と書かれているので、単元や活動レベルでは細かく評価しなくていいよ、というのであれば、先生方はあまりナーバスにならなくて済むかも知れません。

 でも、この「〜している」という評価項目は曲者で、「〜している」と判断されるためには、学習者が何らかの表現などを知っていて、発音できたり書けたりしないと、その姿勢が表出しないので、「関心がない」「意欲がない」と評価されてしまう可能性があるということです。つまり「関心・意欲・態度」もスキルなんですよ、学校英語では。

 そういう意味で、「主体的」と「思考・判断・表現」が似ていて、一体的に評価する、というのは妥当とも言えるし、そうなると同じ能力・スキルを言葉を変えて3回測ってるだけ、になる危険性もあります。観点別評価がそもそも言語能力を適切に測定できるのかについては常に考えていたいものです。

長期的スパンで評価をするということ

 もうひとつ気になったのは、「主体的」は年間を通して評価するとあるし、紙面で紹介されている評価と指導の例では、1課から3課を通した目標」が示されていることからも、もっと継続的でHolisticな評価をしろ、というメッセージが感じられることです。でも例えば40人の生徒を教えている先生方は、それ実際にできるのでしょうか?

 評価を長いスパンで考えるようになること自体はいいな、と思います。例えば、中間テストと期末テストの点数はこれまで同等に扱われてたかも知れないけど、中間テストはあくまで指導計画の「中間」での経過を観るものに過ぎないと考えれば、学期末にできるようになっていたらAをあげる(5をあげる)、みたいに、個々のテストの意味合いが変わっていくんじゃないかと思うんです。

 「知識・技能」の評価対象も気になります。どうも新しい枠組みでは「知識」と「技能」に分割して考えるようなんだけど、「知識」ではその単元の新出文法の理解を問うけど、「技能」では特に使用して欲しい言語材料を提示せずに「既習の言語材料を用いて」表現できているかを評価するみたいです。

 これは、私の予想では「思考・判断・表現」でそういった既習事項の使用や定着を評価するようになればいいなと思っていたのですが、それが「知識・技能」に位置づけられてるので、ますます「思考・判断・表現」との棲み分けが見えづらい気がします。

 ただ、そもそも習ったことがすぐに身につくわけではない語学の場合は、短いスパンで正確さだけを評価するテストをしてたら、英語力と言うより認知的な記憶力を比べているだけになっちゃう可能性があります。ついでにいうと、そうやってテスト観がアップデートされていく中で、「英語は中間テストから離脱します」みたいなことが起こり始めたら面白いなと思うし、そういうことを期待できる今回の改訂なんじゃないかなと思います。

文部科学省のコミュニケーション能力が試される

 それにしても、今回の記事はとにかく読みづらいです。

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 後半は評価資料の抜粋と思われるものがそのまま載ってるんですけど、この【言語材料】ってところに「過去形」とか「受動態」とかを、【事柄・話題】ってところには「日本の文化」とか「環境問題」みたいな単語をそれぞれ当てはめろ、ってことなんだろうけど、もはや甲が乙がの契約書の世界。もしくはxやaに代入する感じ。山田調査官は「正しい理解を」と先生方に呼びかけてますが、それなら文科省としても伝え方ももっと工夫していかないとダメでしょう。

 ここまで来ると、指導案作成のための「評価基準作成ジェネレーター」も文科省が作成してアップしてくれればいいのに、と思ってしまいます。正しい理解が必要なのはわかるけど、こんな作文に忙しい先生方のエネルギーが割かれるのは本当に不毛です。

 まずは文科省自体が、現場で奮闘している教師との「やり取り」を大事にしてほしいな、と思ったところで、今回の記事に関するメモは終了です。肝心の国研の評価資料は3月くらいには発表されるのかな?