「延期」になった今からするべきこと

 大学入試への民間試験活用が、とりあえず延期されました。

 このブログをお読みのみなさんの中にもいろんなお考えの方がいらっしゃるかと思いますが、私は今回の入試改革案に反対の立場をとってきました。ですので、一安心ではあるのですが、受験期直前で振り回されている高校生のことを思うと、もっと早く止めてあげられなかったのだろうか、と反省します。とはいえ、ここでなんとか踏みとどまるために尽力されていた方々には本当に頭が上がりません。

 さて、問題はこの先です。次に必要なのは、(1)政策決定プロセスの見直し、(2)改革案を見直すとしてどう見直すのか、という点でしょう。

 まず(1)の政策決定プロセスを考えます。

 これだけいろんな人たちが問題点を指摘してきたのに、こんなにギリギリになるまでスルーされてきて、土壇場で「延期!」となったのですが、もっと早く立ち止まることができたはずです。でも、できなかった。できなかったのは何故なのか、をしっかり検証する義務が文科省と与党にはあると思います。(この期に及んで「思いやりにあふれた決断」とか言っている勘違いもいるみたいですけど、国民請願も陳情書も無視してきた人たちが言うセリフじゃないですよね)

 結局、この国で政策を決定したり、変更したりするのは、政治家の意向が強くなりすぎちゃってるんでしょうね。文科官僚の方々も、おかしいと思ってるけど、誰も止める決断をすることができない。最初から官邸や政府の諮問機関で出した結論に沿うような制度設計しか考えない。設計してみたけどリスクが大きすぎるからその案は考え直そう、という選択肢がないんだと思います。諮問機関や会議で専門家の意見も聞いてるけど、最初から賛成してくれる専門家しか呼ばない。

 また「1年かけて新たな制度を検討」となっていますが、これも民間試験の活用は動かない、ということでスタートしちゃうと、また無理な辻褄合わせが始まっちゃうので、ゼロベースで検討する会議にして欲しいです。このへんのことについては、下の提言が実ることを期待しています。

 

 さて、(2)の見直す方向性については、難しいですね。

 これまで反対派・慎重派として連携してきた人たちも、見直しの方向性については必ずしも考えが一致していません。「金額や会場などの条件が整えば案通り民間試験で」という人から「大学入試センターが4技能試験をやるべき」「入試に4技能は馴染まない」、そして「そもそも日本での英語学習は読み書き中心でいいんだ」という人まで多種多様です。

 今後は、まずは文科省として、国として、何を優先するのかという原則を、最初に示してほしいです。その上で、それぞれの立場の人たちが考えをしっかり表明して、選んでいく必要があります。ただし、現実的には「何を優先するか」というより「何を我慢するか」という話になると思うので、それが我慢のできないものなのであれば、そもそも民間試験を使うのは見送るべきです。

 そもそも、今回の問題点は構造が複雑で、「あちらを立てればこちらが立たない」というジレンマがいっぱいあります。そのへんはこの記事が詳しいかな。

 なんか、こうして関連記事を貼り付けると、現文部科学大臣のお顔が並んでしまうのですが、この方が「身の丈に合わせて」と今回の改革案を適切に表現してくれたおかげで、世の中に制度の問題点が伝わりました。別に感謝はしませんが、大臣にアドバイスするとしたら、こんなに問題がある制度をここまでスルーしてきた(もしかしたら積極的に推進してきた)これまでの文部科学大臣の責任をしっかり追及するべきです。じゃないと、この方のお顔とともに今回の失策が歴史に刻まれていくことになりますから。

 この改革案を推進してきた人たちからすれば、悲しみや怒りでいっぱいなのだろうとお察ししますが、そういう意味ではこの改革案が出てからずっと私達は悲しみと怒りの中で反対運動をしてきたのでお互い様であります。どうか感情よりも意見を表に出して、議論を継続していって欲しいです。

 官僚レベルや政治家レベルではなく、教師のレベルで考えても、これまで話し合いが十分だったとは言えないと思います。みんな、自分と同じ考えの人たちで集まって、傷を舐めあってるだけ。仮に意見が違っていても同僚と率直に意見をぶつけあえる職場を作ることこそ、大切だと思います。

 そういう意味で、私は今更ではあったのですが、「賛成派」の先生方との対話を試みてきました。でもみなさん、反対されると感情的になってしまって、なかなか質問と答えが噛み合わなくなってしまいます。結果的に、私がfacebookを荒らしているようになってしまって、心苦しくも感じていました。

 でも、今回教員や受験生当事者が挙げた声が、請願署名になって国会に届いたり、SNSやマスコミを通じて世の中に伝わったりしたことで、政治家が動いて、国会での議論になり、「思いやりにあふれる決断(笑)」につながったわけですから、どちら側の声もしっかり表明して、可視化していくことが大切だと思います。

 奇しくも、そのことの大切さを教えてくれたのが、前文部科学大臣の「サイレントマジョリティーは賛成です」というお言葉だった、という点は、皮肉ではあるのですが。