形式だけじゃなくて、意味にもちゃんとフォーカスしよう

 キーボードを使いたい一心で、今日もブログ更新w

 研究室の机の上に置いてみるとこんな感じ。白基調のスペースに漆黒が映えます。電源入れたまま鞄に入れてたら、勝手にキーが連打されてたみたいで、iPadがロックされてたのはご愛敬。

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 さて後期は4年生の教職実践演習という授業があり、それぞれ教育実習での授業を再分析して、バージョンアップしたものを模擬授業として公開しています。4年生は、昨年までの英語科指導法の授業を担当できていないので、今初めて伝えることがたくさんあるんですけど、伝えたことを彼らなりに消化して、少しでも形にしようと努力をしてくれています。

 4年生に限らないのですが、学生のやる模擬授業を見ていると、ひたすら形式の練習に明け暮れる、という光景をよく目にします。パタプラであれば、そりゃあ形式の「お稽古」なんですから、形式フォーカスでいいんですけど、でもちょっと工夫すれば意味も同時に考えながら練習できるんだけどなぁ、と思うことがしばしば。

 今日面白かったのは、高校での授業で、読解で扱った英文をまとめとして要約する、という活動でした。私もよく要約させてましたが、こういうのは評価が難しいですよね。Aさんの要約も、Bさんの要約もどっちもそれぞれいいね、でも別にいいんですけど、それだと英語として高めたい方向性が見えてこない。

 でも例えば、「この話を中学生にわかるようにダイジェストで伝えて」という指示があれば、語彙や文法の選択する「基準」や「方向性」が生まれます。「Aさんのまとめの方がわかりやすい」みたいに比べることもできるので、よりよい表現を目指して努力する甲斐があります。

 あるいは、「国際電話の向こうの相手に今の現地時間を聞く」という活動なら、ただ聞いて終わりじゃなくて、聞いた相手のいる場所の時間によって、挨拶を考えるのも面白いですよね。朝ならGood morning!だし、夜ならGood evening!だし。夜中の2時とかだったら、Sorry...かもw   そんな作業が一つ入るだけで、意味や場面を考えながら時間を聞くようになると思うんですよね。特にPPPの3つめのPだったり、もっと意味フォーカスでやり取りをさせるのであれば、目的や相手の設定が大事ですね。

 別に目的って、そんな崇高なものでなくてもよくて、例えば「相手に持ってるペンの数を聞くパタプラ的な活動」であっても、「何人かに質問して合計のペンの数がちょうど20になるようにする」ってミッション与えるだけで、何人もに質問しようと思ったり、誰に聞こうか考えたり、「思考・判断」というのは流石に言い過ぎだけど、ただ闇雲に聞くのとは違う頭の使い方をするように自然と促せると思うんですよね。

 でもまぁ場面としては「合計いくつになるように質問する」って変なんですけどね、なんて話をしていたら、同じ授業を担当しているもう1人の先生から「福引の券を6枚持ってるから、4枚持ってる人を探して一緒に一回福引を回す」っていう面白いシチュエーションを聞いて、なるほど!と一人で感動してました。

 というわけで、パタプラであっても、何か意味を持たせられた方がいいよね、というお話でした。